投影された宇宙3 と、とある出来事 |
検査担当者からきっぱり言われた。
先日免許書き換えで試験場に行ったのだが視力検査で引っかかってしまった。必要視力は0.7。現時点でonotechは0.4しかない事が判明してしまった。
以前どこかでブルーベリーが目にいいと聞いた事があった。免許の更新が近づいてきたので一週間程前からジョナサンでブルーベリーを1パック買って帰り家で食べて試験に備えていた。
なぜブルーベリーかというと一つ目の理由は・・今マイブームの本が原因。
投影された宇宙
ホログラフィック・ユニヴァースへの招待
著:マイケル・タルボット
訳:川瀬 勝
P113 「熱いストーブの上で雪の玉のように解けてなくなる腫瘍」より
これまであげてきたような要素がプラシーボ効果において演ずる役割を理解することは重要である。なぜなら、それはボディ・ホログラフィックをコントロールする私たちの能力が、自分の信念にどれほど深く影響されるのかを示しているからだ。~中略~それを持っていることを自覚していないがため、私たちはだまされでもしなければ、その力を使えないのである。
この章の内容に影響され、実験するにはいい機会と思えた事。
そしてもう一つは他の方法では得られにくい美味しい物を食べた満足感ももれなく付いてくるからである。しかもブルーベリーは今が旬の食べ物のようだ。
最近の健康診断では0.3だったから少しは効いたようだが0.7には及ばなかった。
P111 「存在しないものの治癒力」
この事実はさまざまな文化の中にイボをとるための民間伝承の儀式(儀式自体も一つのプラシーボと言える)が無数に存在していることによっても実証されている。
食べる時に本読みながら食べたので儀式めいた物がなさすぎて効果が薄れたのか、それとも意識に力が足りなかったのか。検査のチャンスは一日二回だが二回目も視力が足りなかったonotechは明日の検査に向けて眼鏡屋さんに足を運んだ。
約弐万円、ちょうどセール期間中だったので定価よりは少しだけ安く買えた。視力も1.2に調整してあるので体調不良で少しぐらい裸眼の視力に誤差があっても基準の0.7は見えるだろう。
RAYBANのフレームも色ともどもお気に入り。これで明日の免許更新は問題無いだろう。ほっとしながら眼鏡屋さんを後にした。
そして次の日、昨日の不安はどこへやら。元気いっぱいで試験場にむかった。
最初、眼鏡をかけて試験に挑んだのだが、検査の担当者からまずは眼鏡をはずして検査するように言われてしまった。お気に入りの眼鏡をかけて試験できない事は大いに残念だがしょうがない。
「上・・下・・・右・・よく見えません・・・・。」
一通りの裸眼での検査が終わり、お気に入り眼鏡に手を伸ばそうとすると・・・
「はいオッケイです。あそこにいってはんこもらって次に進んでください。」
と検査係から言われた・・・。
なんと、
裸眼で合格できた・・・・・。
少し考えたのだが、眼鏡を手に入れる前の心は「裸眼でどうにかして0.7を超えなければ!」という思いのほかに「合格できなかったらどうしよう・・。」とか「検査パスできないとブログのネタにできないなぁ」とか多くの事を考えていた。
しかし視力が0.4しかなく、検査がパスできない事を知ったと同時にすべてを手放す事になった。
「やることやったけど0.4しかないんだし、しょーがないよなぁ~。」っと。
なんだか心も軽くなり、眼鏡をすると少しだけ賢そうにonotechが見える事を発見して眼鏡も悪くないなーとか思っていた。心の底から。
そんなこんなでストレスから開放されたonotechの心は本来の力を発揮できるようになったのだろうか。不思議だ。
P124 「多重人格者の変貌が意味するもの」より
私たちはみな、すべてはどうしょうもないことなのだという見方に深く執着している。視力が悪くなればもうそれは一生悪いままで当然と信じ切って疑わず、もし糖尿病を患えば、その気分や考え方の変化で消え去ってしまう可能性があるなどは一瞬たりとも考えはしない。
視力に関して重度の障害の場合は別だが、眼鏡を使うということは一見当たり前のように見えるが、実は本来ある視力の回復力を一時の便利さの為に犠牲にしているように昔から感じていた。
体重や血圧と同様に視力も日々変化するものなのだがなぜか周りの人は視力を固定したがる。しかも自分の努力はせずに道具や手術に頼っているように思える。
視覚は人の感覚の大部分を占めると聞いたことがある。その視覚に不便があるのは他の感覚以上に苦痛なのはわかるのだけど・・・・。
もう少し体と心の治癒力を信頼してあげてもいいのではないだろうか。
今回の経験してから初めて判かったのだが眼鏡を手に入れる前のonotechは今、自分がしている事を信じて疑わず、眼鏡を手に入れたonotechからみれば視力低下の原因を作っていたであろう事実に「無自覚」だったようだ。
そして無自覚がゆえに対応もできず結果は思い通りに行かない悪循環になろうとしていた。
今回はたまたま成功したようなものだが、案外自分自身に対しての「無自覚さ」によって引き起こされる事件は身の回りに多く発生しているのではないだろうか。
onotechの中に確実に存在する無自覚に無頓着な一面を観察できた。
・・・・・・・・・・実は・・・・・。
最近眼鏡をもう一つ買ってしまった。
パソコンモニターの余分な光線をカットして長時間の作業でも目を疲れにくくする「Buiレンズ」を使っている。
レンズ表面にあるドット柄の特殊コーティングが光線反射機能をもっている。
仕事で19インチモニターを2台並べて使っているせいか、パソコン作業が多い時は実は目に負担がかかっているかもしれない。
ああ心配だ。
「onotechさっき眼鏡使うと自然治癒力がどーのこーの言ってたよなぁぁーッ?」
なんだか心の声どこからとも無く聞こえて来ましたが、弁護させていただきます。
「レンズは度なしの伊達眼鏡です。」